にぎやかさと自由
にぎやかさの裏側には静がある。
にぎやかさを作り出すのは自分と他者との間に生まれる動的なものであることが多い。
例えば友人が家に遊びに来て、帰ったあとや、楽しい飲み会のあと、ふっと1人になった瞬間、静を感じたことは誰にでもあると思う。
動的な状況から静的な状況へ急に場面が変わった時に寂しさを感じる。
魔法が解けてしまった寂しさだ。
わたしはその寂しさがとても嫌いだ。無論、恐怖だ。
動的なものを望んでしまうし、動的な状況にいることに安心感を覚える。
なのに体が静的な状況をとても好んでいることも分かる。とても疲れるのだ。
にぎやかなところへ行きたい、でも体が動かない。心からそれを望んでいない。
この心の芯から感じている寂しさはどうしてくれよう。
だから私は自分が弱いと思ってしまう。
にぎやかさはつくり出せるはずだ。本や映画や漫画で心を揺さぶって感動することで。
心を揺さぶる体験をもっとしよう、一人でも動的に動くことはできる。
静と動が混じった静動的なものを摂取しよう。
知的ではなく、あくまで動的。自分の好奇心をくすぐるものを摂取するのだ。
私の今、感じている弱さはきっとにぎやかさの反動に対して泣いてしまう、弱ってしまう自分がいることだ。発想を転換すればにぎやかさの不自由さから開放されたのだ。自由を手に入れたということなのだ。自由を自由に使えていないだけで、自由の中にいるのだ。何も不便に思うことはない、何も寂しさを感じなくてもよい。
その事実に気付こう。この時間を乗り切るなんて思わず、楽しむのだ。味わうのだ。
にぎやかさの反動としての自由を手に入れよう。